更新履歴
- 2026/03/16 初版公開
- 2026/03/17 ゲシュタルト要因についての具体例を追記、スイッチングについて理解を補助する図を追記
お久しぶりです。VJの富永です。一年以上空いてのBlog更新になる。
最近は一線から一歩引いてひっそりと活動しており、このぐらいが今の自分には合っている感じがしている。
この記事は完全にコラムというか自分語りのポエムであり、あるべき論(巷で言うDJ論やVJ論)ではないので、気楽に読んでほしい。来月にはVJ新年会も予定されているらしいので、その中で話のネタにでもしてもらえれば良いかなと思って書いている。
VJをやっていると、「どうやって映像を選んでるんですか?」と聞かれることがある。感覚、と答えてしまえばそれまでなのだけれど、実際のところ、自分のVJスタイルを振り返ると、そこには確かに自分の人生のバックボーンが色濃く反映されている。
ここに書く話はこれまでも若手のVJさんから聞かれたら口頭で答えていたのだけども、今日はそんな話をきちんと明文化して書いてみたいと思う。
TL;DR
- 大学院で研究した認知科学が、スイッチング(映像切替)のスタイルを支えている
- クラブに通い詰め、DJとして培った音楽の身体知が、展開の先読みに活かされている
- 情報工学者として培った技術が、ライブコーディングや映像ルーティングの土台になっている
- 共演するVJから受け取ったインスピレーションが、演出の幅を広げている
- VJの映像にはその人の人生のバックボーンが映る——だからVJは面白いし、正解がない

認知科学が支える「スイッチング」
私のVJスタイルの軸にあるのは、映像のスイッチング——つまり切替だ。それもただのスイッチングではなく、「制約をいれた」スイッチングであり、この制約こそが私のVJの根幹をなしている。
私のVJでは縦ノリの楽曲なら1拍ごとに、横ノリの楽曲なら2拍ごとに映像を頻繁に切り替える。ただし、無作為に映像を切り替えているわけではなく、ここに制約を設けている。1拍目と3拍目に表示する映像は頻繁に差し替える一方で、2拍目や4拍目に表示する映像を差し替えることはほとんどない。
なぜこうするのか。ここに、大学・大学院で情報工学を専攻し、脳の認知や人間工学を研究していた経験が効いている。
人間の脳には、断片的な情報から規則性や全体像を見出し、効率的に処理しようとする性質がある。これは心理学では「ゲシュタルト要因(ゲシュタルトの法則)」として知られている。脳はバラバラの情報をそのまま受け取るのではなく、まとまりやパターンとして捉えようとする——そういう仕組みで動いている。
かつて、人は夜空を見上げて、一見無作為に見える星々の中に、星座というパターンを捉えている。あるいは、青空に浮かぶ雲を見て「人の顔みたい」という幼児もいる。カオスの中に規則性を見いだしたい人間の脳の活動というものは本能的なものであり、本当に興味深いものなのだ。
余談だが、ソウルを拠点とするアーティストデュオShinseungback Kimyonghunの「Cloud Face」というプロジェクトでは、顔検出アルゴリズムに空の写真を見せたところ、AIもまた雲の中に人間の顔を「発見」してしまった。人間だけでなく機械までもが、パターンのないところにパターンを見出そうとする。脳のこの性質がいかに根源的なものかを示す、面白い作品だと思う。
話を映像に戻す。もしすべての映像が無規則に変化し続けると、脳はそこにパターンを見出せず、「ただ映像が切り替わっているだけ」としか認識できない。ところが、2拍目と4拍目を固定するという制約をひとつ加えるだけで、脳は変化の中に規則性を発見する。
では、その2拍目と4拍目の映像を切り替えるのはいつか。それは曲の展開が変わったときだ。普段は固定されている映像が不意に変わることで、オーディエンスの脳にある種の違和感——つまり「何かが変わった」という気付きが生まれる。この違和感が、楽曲の展開が切り替わったことへの意識を自然と誘導する。制約があるからこそ、その制約を崩したときのインパクトが演出として機能する。

一時期「アハ体験」という言葉が話題になったが、あれはまさにこの仕組みだ。脳が規則性を見出した瞬間に快感が生まれる。私の制約をいれたスイッチングに基づく映像表現は、フロアにいる人の脳にその「アハ」を連続的に起こすことを狙っている。
そして、このアハ体験が音楽と同期して起こるということが重要だ。映像の切替が音のビートやフレーズと噛み合った瞬間、視覚と聴覚の両方から同時に規則性が脳に届く。これが単体の「アハ」を超えた、さらに強い快感に繋がる。音楽のグルーヴと映像のパターンが重なり合うことで、フロアの体験はより深くなる。
もちろん、フロアにいる人の脳で本当にアハ体験が起きているかを科学的に計測したわけではない。あくまで、大学・大学院で学んだ認知科学の知見をもとに自分なりの仮説を立て、それを信じて意識的にやっていることだ。ただ、この仮説に基づいて現場で試行錯誤を重ねてきた結果、手応えは確かに感じている。
認知科学の知識がなければ、このアプローチには辿り着かなかった。VJの現場で理論を意識しているわけではないけれど、自分の映像表現の根底には、間違いなく研究室で過ごした時間がある。
フロアで身体に刻んだ音楽の記憶
認知科学の話をしたが、私のVJを支えているもうひとつの大きなバックボーンがある。クラブミュージックそのものへの没入だ。
VJを始める前、さらに言えばDJを始める前から、私はクラブミュージックがただただ好きで、足繁くクラブに通っていた。フロアに立って、音を浴びて、踊って。その時間の蓄積は、今のVJに直結している。
何百、何千と浴びてきた楽曲の展開が身体に染み込んでいるから、「次にブレイクが来る」「ここからドロップに入る」という予測が感覚として働く。VJは音に映像を合わせる表現だが、合わせるためには音の先を読む必要がある。その先読みの精度は、フロアで過ごした膨大な時間がもたらしてくれたものだ。
やがて聴く側からDJとして音を出す側に回り、その活動は今も続けている。DJとしてミックスを組む経験は、楽曲の構造をさらに深く理解することに繋がった。そして、所有するDJ機材はVJの現場でも力を発揮している。タイムコード同期を必要とするような高度なライブ演出の検証環境として、DJ機材が手元にあることは大きなアドバンテージだ。自宅で実機検証ができるからこそ、現場で攻めた演出に踏み込める。
クラブに通い詰めたこと、DJを始めたこと。音楽に近い場所に居続けたことが、映像表現の土台になっている。
テクノロジーという武器
音楽の話をしてきたが、私のVJを支えるバックボーンはもうひとつある。情報工学のバックグラウンドから来る、テクノロジーだ。
今もITエンジニアとして仕事をしている身だから、コーディングは日常の延長線上にある。それがVJにも自然と持ち込まれていて、たとえばライブコーディングを映像表現に組み込むといったことにも繋がっている。
また、VJは映像のルーティング——どのソースをどのアウトプットにどう流すか——をシステマチックに構築する必要がある。複数の映像ソースを扱い、リアルタイムに切り替え、ミックスし、出力する。その設計と構築には、エンジニアとしてのスキルが存分に発揮されている。
技術はVJにとって表現そのものではないかもしれない。でも、表現を実現するための土台であり、その土台の厚みがそのまま表現の幅になる。
※ 普段のキャリアについては https://resume.tmng.me を参照。


これはDJブースに固定したライブカムの映像をVJ卓に無線伝送している様子
他のVJから受け取るもの
もちろん、すべてが自分の中から生まれるわけではない。
他のVJの映像を見て、フロアで体験して、そこから得たインスピレーションを「自分のバックボーンに通すとどうなるか」を試す。その繰り返しでもある。同じインスピレーションを受け取っても、それを自分のフィルターに通した結果は人によってまったく違うものになる。
私が尊敬してやまないVJは数多くいるが、中でもH2KGRAPHICSことナリさん (https://x.com/H2Kgraphics) は頭が上がらないVJの一人だ。ナリさんは若手VJの育成に積極的であり、お世話になっているVJも多いとおもうが、私もその一人だ。
ナリさんからは、大箱における映像演出の作法を学んだ。大きなハコでは映像の見え方もオペレーションの考え方も小箱とはまるで違う。そして何より、照明との協調した演出——映像と照明を別々の要素としてではなく、ひとつの空間演出として統合する考え方を教わった。さらに、LEDパネルを単なる映像の出力先ではなく「照明装置」として捉える発想は、自分の演出の幅を大きく広げてくれた。LEDパネルから放たれる光そのものが空間を照らし、色づけ、雰囲気を支配する。映像の内容だけでなく、光としての役割を意識することで、演出のレイヤーがひとつ増える。
こうした学びもまた、自分のバックボーンに取り込まれ、映像表現の一部になっている。
VJに正解はない
ここまで私のVJに活かされているものを言語化してみたが、この他にもまだまだある。高専で培ったプロダクトデザインの知識や、それに根ざした書体と組版への強いこだわり——映像の中に置く文字ひとつにも、その経験が滲み出ている。挙げ出すとキリがない。
私がVJという表現が好きな理由のひとつは、映像を通してその人の人生が見えるところだ。
ある人はグラフィックデザインのバックグラウンドから緻密なモーショングラフィックスを繰り出す。ある人は映画畑の経験からシネマティックな映像で空間を作る。私は認知科学とエンジニアリングから、スイッチングとテクノロジーで勝負する。どれが正解ということはない。
VJに正解はない。だからこそ、自由に映像表現をしてほしいし、その映像を通してその人のバックボーンを見せてほしいと思う。それを見るのが、フロアに立つ楽しみのひとつだから。
そしてこれは、DJにも同じことが言える。私がフロアに足を運ぶのは、単に音を楽しみに行っているわけではない。そのDJにしかできない選曲、繋ぎ、展開——DJという表現を通して滲み出るその人だけのバックボーンとの出会いを楽しみにしている。
たとえば、私が大好きなLOLISTYLE GABBERS (https://x.com/Loligabba) というユニットがいる。彼らはDJだけでなくVJまで自分たちでこなす。自分たちに影響を与えたアニメをブートレグとして昇華し、フロアにドロップしながら、その世界観を映像としても同時に表現している。彼らのセットに立ち会うと、音楽だけでなく映像を含めたトータルの体験として、彼らの人生——何を観て、何に心を動かされてきたのか——に触れることができる。好きなものを自分の表現に昇華して、それをフロアにぶつけてくる。その熱量と純度に触れるたびに、心から感動する。
VJもDJも、表現を通してその人の人生が見える。だから、フロアに立つのはいつだって楽しいのだ。